OLD HISANOHAMA
昔の久之浜・大久地区の写真を公開しています。
2002年10月14日に撮影した久之浜町田之網から撮影された景色です。奥に殿上山が見えます。 手前の松が根元から折れて倒れています。波も少し荒そうです。 写真提供:志賀賢司さん
中浜より久之浜海岸(好美濱)を写した写真です。 浜に生えた松のアーチの向こうには殿上山が見えます。 写真・情報提供:緑川健さん、村岡寛さん
2010年4月26日に撮影した久之浜の大久川にかかる台ノ下橋の景色です。手前にチューリップの花が咲き乱れています。 写真提供:志賀賢司さん
1996年11月に撮影した久之浜の景色です。 大久川の一番海岸側の橋である陰磯橋から三森山側を望んでいます。 2又に分かれている左が小久川、右が大久川で、大久川の上流側に木橋で有名な台ノ下橋がかすかに見えます。 現在は今は無き台ノ下橋の右側に、災害公営住宅が出来ようとしています。 このあたりの川の護岸も防災緑地として整備される予定です。 写真提供:志賀賢司さん
2002年5月4日の久之浜合同神幸祭時の諏訪神社前の景色です。 子どもたちが巫女の姿になり、祭りに彩りを与えています。 写真提供:志賀賢司さん
江戸時代には当地が江戸幕府直轄領であったこともあり、年貢米はこの江之網港などから船で江戸に運ばれていたようです。 また、いつ頃までかは定かではありませんが、明治時代には漁港として利用されていました。 この港を望む山の斜面にある墓地には、江戸末期に活躍した女流文化人(詩人)の大須賀茂登のお墓がひそやかに残されています。秋のお彼岸の時にでも往時を偲びながら、花をたむけてみてはいかがでしょうか。 写真提供:緑川健さん、村岡寛さん
1999年1月1日(元旦)の久之浜港の景色です。 大漁旗などが掲げられています。 中央が末吉丸。その右手前に正栄丸など多くの船が停泊している。 写真提供:志賀賢司さん
常磐線の西側は昔、このように一面田んぼだったんですね。 左の建物は、現在の久之浜小学校の敷地内にあったといわれる洋裁学校であったのではないかと思われます。 写真提供:緑川健さん、村岡寛さん
1997年5月4日の合同神幸祭で撮影された久之浜町の景色です。 背景に殿上山が見える東町の海岸で「塩垢離(しおごり)」をしています。塩垢離とは「海水を浴びて身を清めること」で久之浜の神輿担ぎの時には恒例でやっていた行事でした。震災後の合同神幸祭では正式には海に入っていく塩垢離は残念ながらまだやっていません。 写真提供:志賀賢司さん
2003年5月4日の合同神幸祭で撮影された久之浜町の景色です。 梅月堂の前で神輿を揺らしています。 写真提供:志賀賢司さん
1997年5月4日の合同神幸祭で撮影された久之浜町の景色です。 前回の写真(OLD HISANOHAMA 035)とほぼ同じ場所から撮影されていますお祭りのこども神輿の感じがでています。久ノ浜駅から海岸側へ少し歩いた位置、大聖寺の前から殿上山、遠藤理容を見る。 写真提供:志賀賢司さん
1996年6月7日に撮影された久之浜町の景色です。 久ノ浜駅から海岸側へ少し歩いた位置、大聖寺の前から殿上山、喜久屋、ひさごや、遠藤理容を見る。 殿上山も心なしか少し緑が多いような、、、 写真提供:志賀賢司さん
1996年6月7日に撮影された久之浜町の星廼宮(ほしのみや)神社の正面入口の景色です。 子どもたちの遊び場として愛された境内でした。鳥居越しに社殿だけでなくたくさんの遊具が設置されているのが分かります。 写真提供:志賀賢司さん
1996年6月7日に撮影された福島県いわき市久之浜の星廼宮(ほしのみや)神社の社殿の景色です。 この星廼宮神社は残念なことに津波被害に会い、現在この社殿は無くなり小さな仮社殿が祀られています。 もともと津波の遡上ラインから外れた位置にあったものが、諸事情により現在の位置に移転されたようです。境内が公園のようになっていたほのぼのとした神社でした。 写真提供:志賀賢司さん
1996年9月に撮影した代の高台から見た久之浜町全景です。 下部に大久川右から左へ流れており、中央左側に木橋で有名な代ノ下橋が健在なのが見えます。 写真提供:志賀賢司さん
1996年9月に撮影した代の高台から見た久之浜町全景です。 下部に大久川右から左へ流れており、中央左側に木橋で有名な代ノ下橋が健在なのが見えます。 写真提供:志賀賢司さん
左は、殿上山(岬)の巌壁です。 都会から避暑にきたと思われる紳士たちとその前方に全裸?でカメラに対峙する少年のキリっとした顔つきが印象的です。 この少年の夏は、如何だったのでしょうか? (戦前から久之浜に唯一あった本屋・文化堂発行) 写真提供:緑川健さん、村岡寛さん
昭和10年12月17日に双葉郡久之濱尋常高等小学校(現在のいわき市立久之浜第一小学校)の校舎講堂の増改築竣工記念として出された記録誌からのものです。 場所は現在の小学校と同じ場所で、現在の鉄筋コンクリート造4階建てとは違い木造平屋建て、瓦葺屋根となっています。 校舎と校舎の間の貯水池は防火用水の用途があったようですが、寄付された4~5匹のアヒルがガアガア鳴いていたこともあるようです。 学校周辺は今とは違い、田んぼが多い閑散とした景色です。 写真提供:緑川健さん、村岡寛さん
青龍の松は、いわき市指定(昭和54年3月)の保存樹木になっており、今回の大震災・大津波でも生き延び、復興途上にある地域住民を鼓舞しています。その昔、諏訪神社社殿後ろの空き地で神様に見守られながら(?)暗くなるまで「ベーゴマ遊び」にうち興じていたのを思い出す60歳代の方もいるのではないでしょうか? なお、陸前浜街道の宿場町として栄えていた頃、まちの中心にあったこの諏訪神社をスケッチした竹久夢二の絵(明治40年)も残っています。 写真提供:緑川健さん、村岡寛さん
昭和30年代の久之浜での海開きの模様です。 神主さんが来て海の安全を祈願しています。やはり久之浜総鎮守の諏訪神社から来られたのでしょうか。 60年前の久之浜も暑かったのでしょうか? 写真提供:久之浜町商工会